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久しぶりに発掘した天沢退二郎『光車よ、まわれ!』(ちくま文庫)を再読した。ご多分にもれず、なのかどうか知らないがこの本に手を出したのは「摩由璃の本棚」で紹介されていたからで、たぶん中学のとき。その時の感想はといえば、「キャラの口調が古臭い」「こんな(幼い)小学生いねえ」「いかにもだなあ」ぐらいだった。水たまりに写る空、なんてものが出てきたのでもしやと思ったらやっぱりそれか、てなもんである。 ところで龍子さんは小学生なのである。そして小学生の女の子がおとなより凛々しくてかっこいいのは、かつての僕には当然のことだった。だから、このギャップに萌えるには、それなりに年をくっておく必要があるわけだ。 あと、「あなたたちはこんなこと信じちゃだめよ。頭がおかしいと思われるから」「じゃ、君のおじいさんは?」「頭がおかしいの」と平然と言ってのけるあたりも萌え。事あるごとにスカート(当然、黒)をひるがえして立ち上がったりさっと歩き出したりする描写が出てくるので作者か僕が病気だと思った。なんかやたらと、すらりと長い脚とか書いてあった気がするし。いや、そら彼女がかっこよくないと話にならないんですが。 今読み返してこの作品の世界(現実)感覚にリアリティを感じることができるのは、たとえば村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を通過したからである気はする。あと、文芸批評だの哲学入門だのをつまみ食いしたこととか。何がいいたいかというと、最初は理屈でしかわからないことも、修行すれば自然にそう感じることができるようになるので、自分の感性ごときに作品鑑賞の幅を決めさせては損だということなのですが。 あと、思い出したのがチェスタトン『木曜の男』で、そこには、ロンドンの地下鉄がチャリング・クロス駅を出ると決まってヴィクトリア駅に着く、ということに、奇跡のようなありがたみを感じる男が出てくる。世界とは、うっかり油断すればすぐにでも暴力的な無秩序で満たされてしまいかねないものだ、というのが彼のリアリティである。このあたりは佐藤亜紀『検察側の論告』の『木曜の男』評を参照されたい。 とりあえずここにリンク。あれもこれも読んでないよう。 |
(Monday, 26-Aug-2002)
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娘惨状動物園。申し分なく楽しい。 |
(Tuesday, 20-Aug-2002)
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『白鯨』(田中西二郎訳・新潮文庫)読了。とにかく鯨、鯨、鯨! だった。 |
(Sunday, 18-Aug-2002)
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で、ようやくBUNGLE BUNGLEをのぞいて見たわけですが。つってもまだ「Work」しか目を通してないんだけど。 衝撃の事実発覚。ああ待て、そういえば、以前、ちゃんと科白を(小声で)喋ってたことに驚いた覚えがあるか。つうかボリューム上げてみると本当に喋ってるってのはネタとかファンサービスの次元の話だと当時はたぶん思ってたはずだ。まあ、どのみち浩之には聞こえていないはずなのだけれど。 まあ、考えてみればわれわれの日常会話にもそういう面はあって、自分のいいたいことを言語化してくれるのは、多くは話し相手のほうである、と感じられることは多いはずだ。他人の言葉のほうが自分にとってリアルに感じられる、そんな経験はないかね? まあ、はたからみれば「後宮小説」の幻影達と渾沌、みたいなことになっている可能性は否定できないが。 ちなみにこれが瑠璃子さんだのエルクゥ(というかエディフェル)の「信号」だのになると、自分の言いたいことは、或いは自分の気持は、自分自身よりも先に、相手に届く(そして相手の言葉を通して自分に伝えられる)わけだ。まあ誰しも自分のことはわからぬものだといってもいいし、自分の心とは相手に伝わった後で決定されるようなものであるといってもいい。ああ、以前も似たようなこと書いてますね。 ただし、相手は誰でもいいというわけにはいかない。相手が瑠璃子さんでもなきゃさー、「あなたは本当はずっと泣いてた」なんて言われても正直困るのである。アリストテレスの弁論術にも「話者が誰か」ということは話の内容と同等かそれ以上に重要な要素として挙げられている(香西秀信『議論術速成法』、ちくま新書)。 どうも話がそれているようだ。まあ確かに、相手の声が小さかったからわざわざ復唱する、なんてのはいかにも嫌らしくて浩之ちゃんらしくない。とその程度で終わらせるはずだったのだが。 |
(Tuesday, 13-Aug-2002)
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昨日の続き。というより、断片的なメモにしかなっていない。ほとんどは6〜7月の日記の草稿から適当にコピペしたものである。 |
(Sunday, 11-Aug-2002)
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たぶん『銀河鉄道の夜』のせい違いないのだが、川と少年の死は僕にとっては極めて近しいものであって、だから透(ゆき)は別に水死したわけではないのだけれど、久しぶりに読み返した『君がいた夏』(片山愁)のラストは、どういうわけか『銀河鉄道の夜』を強く連想させた。
というのがあったので。 |
(Saturday, 10-Aug-2002)
『ハック・フィン』読了。これは自然主義文学ですか? 気が滅入るような糞リアルな(景気悪いし下らない)事件の羅列は、やはり気が滅入るような茶番で幕を閉じる。「嬌烙の館」のようだ。みもふたもない。 |
(Saturday, 3-Aug-2002)
というのはマーク・トウェイン『ハックルベリィ・フィンの冒険』の巻頭に記された「警告」である。ちなみに岩波文庫の西田実訳。 |
(Friday, 2-Aug-2002)